山同敦子『至福の本格焼酎・極楽の泡盛』『愛と情熱の日本酒』

 近年の本格焼酎ブーム、日本酒ブームの立役者の一人、山同敦子さんの著書を二冊。
 一冊目は、二〇〇二年に出版され、「村尾」「宝山」「佐藤」、そして黒木酒造の「百年の孤独」「山ねこ」をはじめとする一連の銘柄など、今日では広く知られている本格焼酎の数々をいち早く紹介した名著に、新たな取材を加えて編集された文庫本。ただの文庫化ではなく、蔵の七年後の姿をきちんと取材しているところがいい。
 二冊目は、これまた近年になって評判を得た「喜久酔」「醸し人九平次」「王禄」「飛露喜」など新進の蔵元を丹念に取材し、蔵元の人となり、造りの個性を描ききった快著。著者自身、「この本を読んで日本酒にハマッタという人がけっこういるんです」というのもうなずける。
 酒好きには絶対おすすめの二冊である。

至福の本格焼酎 極楽の泡盛―厳選86蔵元 (ちくま文庫)

至福の本格焼酎 極楽の泡盛―厳選86蔵元 (ちくま文庫)

愛と情熱の日本酒

愛と情熱の日本酒

西澤晃彦『貧者の領域──誰が排除されているのか』

 著者は1995年、『隠蔽された外部──都市下層のエスノグラフィー』で鮮烈なデビューを飾った。その内向的でありながら輝きを放つ文体は、都市下層というテーマに実にふさわしく、当時まだ著書のなかった私は、この年下の著者に対して、秘かに嫉妬を感じていた。その筆致から見て、第2弾、第3弾は確実とも思われたのだが、意外にもその後、単著がなかった。これが15年ぶりの単著ということになる。
 私が注目したのは、次の2点である。
 まず第1に、長年続けてきたホームレス調査から得られた知見を、マクロ的な面からとらえ返していること。ホームレスたちはけっして、大都市を漂泊する流浪の民なのではない。ホームレスへと移行しやすい条件下で下層労働者を飯場・寮・木賃アパートなどに収容している地域に、そのまま野宿するなどしている。しかもこれらの人々は、ジェンダーや年齢、家族構成によって分節化され、異なる空間に収容されてもいる。ホームレスの多い地域はそれぞれに、こうした位置を社会から割り振られているのだ。
 第2に、研究を新自由主義と自己責任論に対する根底的な批判へと結びつけていること。自己責任論を浸透させたのは、個人に内在する要因によって自己と他者のすべてを説明しようとする心理学主義であり、さらに以前から民衆のホンネとしてあった「自業自得」という論理であると喝破し、これに社会の構築を志向する「社会系」を対置する最終章は、そのやや込み入った構成を差し引いても、重く受け止めるに値する。
 著者はもともと、地味な学術論文よりは単行本の著者に向いていたはずだと思う。本書によって、15年前と同じテーマで再デビューを果たしたとでもいえるだろうか。時代が、この再デビューを著者に強制したのだろう。今後の活躍に期待したい。

貧者の領域---誰が排除されているのか (河出ブックス)

貧者の領域---誰が排除されているのか (河出ブックス)

隠蔽された外部―都市下層のエスノグラフィー

隠蔽された外部―都市下層のエスノグラフィー

千田有紀『女性学/男性学』

 遠い昔の話だが、静岡大学教養部にいた頃、「女性学」の授業を担当していたことがある。女性学と題する授業科目が大学に置かれるようになって、さほどたっていない頃だったと思う。内容としては、ジェンダーの概念から始まって、家族、教育、労働、社会参加など、現代社会論の各分野を横断して女性の現状について論じるというもので、当時の女性学では普通のスタイルだったと思う。
 ところがある時期から、女性学はだんだん難しくなり、私のような素人には手を出しにくいものになってしまった。セックスとジェンダーの区別も単純には論じられなくなり、セクシュアリティの問題を避けて通れなくなった。最近の授業では、女性労働や女性の階級所属と貧困について言及することくらいはあるけれど、あくまでも数あるテーマの一つとしてしか扱わない。
 そんな難しくなってしまった女性学についての、わかりやすい入門書が、これ。女性学の入門書とはいっても、私が授業していた頃とはまったく別物で、思想的・方法的問題、というより基本のプロブレマティークを論じたもの。関心のある人にとっては必読書である。ちなみに私にとっては、やっぱり最近の女性学は難しいということを、わかりやすく理解させてくれた本だった。

女性学/男性学 (ヒューマニティーズ)

女性学/男性学 (ヒューマニティーズ)

北大路魯山人『料理王国』

 魯山人には全3巻の分厚い著作集があるから、当然何冊もの著書があるはずだと思っていたが、意外にも著書はこれ一冊だけらしい。
 彼の料理論は、グルメマンガ『美味しんぼ』の、とくに初期の頃のタネ本で、かなりのエピソードがここから引用されている。たとえば海原雄山が、「トゥール・ダルジャン」がモデルと思われるレストランが新たに出した日本店で、名物の鴨を山葵醤油で食べてみせ、フランス料理など取るにたらないと馬鹿にする場面があるが、これは魯山人がパリの本店でやってみせたこと。初期の雄山の人を小馬鹿にした高慢な人格は、魯山人を誇張したもののようで、本書にもその片鱗が随所に見られる。
 しかし本書は、食文化史の資料として、また実用書として、いずれの面から見ても価値が高い。たとえば207ページにはっとするような記述がある。洋食が流行する以前の京都や大阪の子どもに「どんなご馳走が好きか」と尋ねると、必ず「鯛」と「鱧」と答えたものだ、というのである。子どもにして微妙な味覚が身についていたということか、それとも選択肢が少なかっただけか。いずれなのかはよく分からないが、引用したくなる一節である。
 実用的な面では、上に挙げた個所の前後に延々と30ページ近くも続くお茶漬けの話が、なんとも興味と食欲をそそる。納豆の茶漬、マグロの茶漬、鰻・穴子・鱧の茶漬、そして車海老の佃煮の茶漬。かなり手間のかかるものも多いが、ぜひやってみたい。
 古くから流通していた本かと思ったら、ちくま文庫の最新刊である。奇しくも中公文庫からも同じものが出ているが、これは1959年に没した魯山人著作権が切れたからだろう。美術論集なども、ぜひ文庫化してほしいものだ。

春夏秋冬 料理王国 (ちくま文庫)

春夏秋冬 料理王国 (ちくま文庫)

近藤克則『「健康格差社会」を生き抜く』

 著者は社会疫学の専門家で、「健康格差社会」という言葉の生みの親。これまでの著作は、良くも悪しくも地味な学術書スタイルだったが、今回は完全な啓蒙書で、しかもスタイルが堂に入っている。歯切れ良く、たたみかけるように事実を提示し、明確に結論する。これは、うれしい期待はずれ。
 理科系の人らしく、世界的な研究動向が広く紹介されていて、これによるとソーシャル・キャピタルと健康の関係に関する論文が、この10年間で3万6000本を越えているとのこと。論文のスタイルや長さが異なるとはいえ、社会科学における格差研究をはるかに超える量の論文が書かれているわけだ。門外漢は、こんな膨大な研究を渉猟するわけにいかないので、こういう本の出版は大歓迎である。
 タイトルには「自助努力によって格差を克服する」というニュアンスがあって、少々違和感がある。第7章がこのタイトル通りの内容だが、本書全体としては健康格差のマクロな構造を繰り返し強調しているだけに、この部分だけが一人歩きして、自己責任論に絡め取られるのが心配。もっとも、全体としては著者の毅然とした姿勢が明確で、ちゃんと読めばそんな誤解・曲解は生じないはず。必読書です。

「健康格差社会」を生き抜く (朝日新書)

「健康格差社会」を生き抜く (朝日新書)

橋本健二編著『家族と格差の戦後史』

 新刊です。私にとっては、初の「編著」となります。編者が実際にはほとんど貢献していなさそうな本をよく見かけますが、これは文字通りの編著で、全7章中、私が3つの章を書いています。他の執筆者は、佐藤香さん、元治恵子さん、小暮修三さん、仁平典宏さんです。
 内容的には『「格差」の戦後史』の姉妹編で、とくに1965年(昭和40年といったほうがリアリティがあるかもしれませんね)の日本に焦点を当てて、その格差の構造や貧困、女性と家族の就業、戦争の爪痕、前近代的な階層構造の強固な残存などを分析しています。格差、戦後史に関心のある人はもちろん、1960年代と高度成長期に関心のある人もどうぞ。
 全体の構成は、次のとおり。

第1章 1965年の日本──社会的背景と問題の所在
第2章 激変する社会の多様な就業構造
第3章 三丁目の逆光/四丁目の夕闇
第4章 転換期における女性の就業
第5章 独身男の肖像
第6章 戦後社会における戦争の影響
第7章 社会階層における前近代と近代

家族と格差の戦後史―一九六〇年代日本のリアリティ (青弓社ライブラリー)

家族と格差の戦後史―一九六〇年代日本のリアリティ (青弓社ライブラリー)

佐藤忠男『大衆文化の原像』

 アカデミックな研究の世界とは異なり、映画評論の世界では、国際的な評価というものが形成されにくい。大多数の評論家は、自国映画と外国映画を二つの柱とするわけだから、同じフィールドで活動しているとはいえない。英語圏以外の評論家の著作が、他国で読まれることも少ない。しかし、仮に世界中で最も優れた評論家を選ぶとしたら、日本と先進諸国の映画はもちろんのこと、発展途上国新興国の映画についての見識から考えて、おそらくは佐藤忠男がその第一候補になるのではないか。
 本書は佐藤忠男の評論を13点収めたコンパクトな書物だが、彼の評論集の中でもかなり特徴的である。彼の評論には、しばしば社会科学的な視点が出てくるが、この視点がとくに強く出たものばかりが集められているからである。たとえば作り手と受け手の所属階級・階層から、文化のさまざまなジャンル、そして映画の特徴を論じる。戦前には広く受け入れられた旅烏的なやくざ映画が、戦後にはあまりみられなくなった理由を、職人から大企業従業員へという労働者の変化に求めてみせる。格差が注目されるようになった今日、初期の著作に濃厚にみられた著者のこうした視点は、再評価されていいように思う。
 貧困を描いたリアリズム映画が、貧しい庶民たちにあまり好まれず、学生や小市民知識人にばかり好まれた理由を、「貧乏というものを本当に恐ろしがっているのはこの人たちだから」と、新中間階級の地位不安から説明して見せたところなど、今日の「格差社会論ブーム」にも適用できそうだ。現在は品切れだが、古本で容易に入手できる。

大衆文化の原像 (同時代ライブラリー)

大衆文化の原像 (同時代ライブラリー)