古賀邦正『ウイスキーの科学』

 講談社の科学系新書・ブルーバックスの一冊。以前、同じシリーズの『ビールの科学』を紹介したことがあるが、これはサッポロビールの人が書いたものだった。こちらはサントリーの研究企画部長などを歴任した著者によるもので、ブレンドウイスキーの「響」を何かと持ち上げるあたりはご愛敬だが、中身はしっかりしている。
 最初の部分は、科学新書らしからぬわかりやすい記述が続き、一般的なウイスキー入門といっていいが、第三部の「熟成の科学」あたりから佳境に入ってくる。最新の研究成果を盛り込んだその内容は、驚きの連続だった。私はこれまで、ウイスキーが樽のなかで熟成するのは、アルコール分子と水分子の会合と、樽の樹脂成分や有機酸の溶出によるものだとばかり思っていた。ところがそうではないらしい。
 まず、熟成とともに水分子同士、アルコール分子同士のクラスター化が進むことによってまろやかさが生まれるのであり、熟成を水分子とアルコール分子の会合によるものとする説は、ほぼ否定されつつあるらしい。さらに、アルコールの作用によって樽の不溶性成分、つまりセルロースやリグニン、タンニンも溶出するのであり、これら溶出成分の量は八−一二年熟成のシングルモルトの場合で、〇・二五−〇・三五%にも上るのだという。そして、これらの成分の溶出にもっとも適したアルコール濃度が六〇%前後であり、古来よりのウイスキー原酒のアルコール濃度に一致している。
 何と神秘的なメカニズムだろうか。このような科学的メカニズムと一致した熟成方法が、長きにわたる経験の結果として生まれてきたわけである。
 麦焼酎を樽熟成させた製品がいろいろ売られている。本書を読んでから、これらの麦焼酎を見る目が変わった。いや、味わう舌が変わったというべきか。ウイスキーと同じ熟成味を感じるようになったのである。ぜひ本書を読んで、試してみてください。

橋本健二『「格差」の戦後史』

classerkenji2009-12-20

 朝日新聞に書評が出ました。好意的な書評です。数日後には、ネットでも公開されるでしょう。とりあえずは、画質のよくない画像データですが、雰囲気だけご紹介します。

「格差」の戦後史--階級社会 日本の履歴書 (河出ブックス)

「格差」の戦後史--階級社会 日本の履歴書 (河出ブックス)

鈴木英生『新左翼とロスジェネ』

 著者は1975年生まれの新聞記者だが、どういうわけか新左翼運動に興味と共感を抱き、文献資料を読みあさってまとめたのが本書である。1960年代から70年代初頭の新左翼運動や全共闘運動を経験していないという点では、私も同じだ。とはいえ、私の学生時代にはその残照のようなものがあり、末席に連なっていたという意識はある。これに対してこの著者にとっては、これらはまったくの歴史的事実であり、その問題提起を現代においてどう受け止めるかと発想している。
 書名にも見られるように、著者は今日のロスジェネと言われる若者たちの疎外感や「生きづらさ」は、新左翼の若者たちと共通だと主張する。とってつけたような気がしないではない。当時の若者と今日の若者では、階級構造に占める位置がまったく違うからだ。しかし、本書は新左翼運動の歴史と思想についての入門書として、けっこうよくできている。何しろまったく経験していないわけだから、納得がゆくまで資料を読み込み、自分でも納得できるように書いている。だから、経験していない世代にも、またこれまで共感を持てずにいた中高年にも、わかりやすい。これは、本書のメリットである。
 結果的には、全共闘新左翼の心情的な側面を過度に強調するところが多くなっている。しかし、若者たちの社会意識に注目して戦後史を解読するというのは、ひとつの重要な視点である。われわれ年長世代が、より当事者性のある、また資料的にも完備したものを書くべきなのだろう。その意味では、けっこう刺激的な本だった。文章は平易で、きわめて読みやすい。

新左翼とロスジェネ (集英社新書)

新左翼とロスジェネ (集英社新書)

宮台真司・福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』

 宮台真司は社会的な発言の多い社会学者だが、これまで「ほんとに分かって言ってるのか」「はったりではないか」という印象のぬぐえないところがあった。しかし、どうやら本物(になってきた)ようだ。民主党の中堅政策通とのこの対談では、政権交代をめぐる政治過程の問題、外交・防衛問題、環境問題、農業政策など、幅広く語っている。情報量が多く、しかも理論と政策論を行き来するあたりは、なかなか見事。随所で、自民から民主への政権交代が、日本の政治システムの全面的な転換であることを強調しているが、なるほどそうかと思わせる。もっともこれには、期待半分という側面もあるだろうけれど。
 私も若い頃は、政策論にかなり関心があって、某巨大労働組合で政策立案に携わっていたこともある。今は格差・貧困問題以外にまで踏み込む余裕がないが、こんな本を読むと、現実政治にコミットしたいという欲求がよみがえってくる。

民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)

民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)

川本三郎『きのふの東京、けふの東京』

 『東京人』、『荷風!』、『東京新聞』。これは東京論三大メディアともいうべきもので、私はいずれも愛読している。この三つに共通の常連著者、というより看板著者の一人が、わが敬愛する川本三郎。川本には多数の著作があるが、本書はそのなかでも出色といっていい。何しろ、この三大メディアに書いた数々の傑作エッセイが、一冊にまとめられているのである。
 全体は「けふの街を歩く」「きのふの盛り場」「作家たちの東京」の三部からなる。すでに読んだことのあるものが多いが、東京を都心から山の手、下町と巡り歩きながら、文学と映画、そして歴史と風俗を縦横に論じていくその芸風は、ますます広がりを増していく。
 居酒屋の話題がしばしば出てくるのが、うれしい。聖蹟桜ヶ丘の居酒屋で、晩酌セットの「小鉢三品」のひとつが柿ピーだったのに唖然とし、「まだ下町のような大人の居酒屋文化が育っていない」と嘆く。川本の本には、これまであまり出てこなかったような気がするのだが、ホッピーの話題がいくつか。同じく新しい街の北赤羽で、駅下そば屋が居酒屋を兼ねているのを見つけ、「ホッピーももつ煮も湯豆腐もきちんとあった」と喜ぶ。かと思えば都心も都心、丸の内のビルの地下に「赤垣屋」ができたのに喜び、新幹線での行き帰りに立ち寄ったりする。
 「街」と「町」がある。著者は、いう。「居酒屋の好きな人間があえて定義すれば、ホッピーをおいてある居酒屋があるところが『町』で、おいていないところは『街』といえようか」。なるほど、言い得て妙である。だとすれば、ホッピーの普及は東京のあちこちが「街」から「町」に変貌していくということだろう。これは居酒屋好きにとっては歓迎すべきことである。
 町歩きと居酒屋が好きで、まだ川本三郎を呼んだことのない人がいたら、まずこの一冊をお薦めする。きっと、ファンになるだろう。

きのふの東京、けふの東京

きのふの東京、けふの東京