北大路魯山人『料理王国』

 魯山人には全3巻の分厚い著作集があるから、当然何冊もの著書があるはずだと思っていたが、意外にも著書はこれ一冊だけらしい。
 彼の料理論は、グルメマンガ『美味しんぼ』の、とくに初期の頃のタネ本で、かなりのエピソードがここから引用されている。たとえば海原雄山が、「トゥール・ダルジャン」がモデルと思われるレストランが新たに出した日本店で、名物の鴨を山葵醤油で食べてみせ、フランス料理など取るにたらないと馬鹿にする場面があるが、これは魯山人がパリの本店でやってみせたこと。初期の雄山の人を小馬鹿にした高慢な人格は、魯山人を誇張したもののようで、本書にもその片鱗が随所に見られる。
 しかし本書は、食文化史の資料として、また実用書として、いずれの面から見ても価値が高い。たとえば207ページにはっとするような記述がある。洋食が流行する以前の京都や大阪の子どもに「どんなご馳走が好きか」と尋ねると、必ず「鯛」と「鱧」と答えたものだ、というのである。子どもにして微妙な味覚が身についていたということか、それとも選択肢が少なかっただけか。いずれなのかはよく分からないが、引用したくなる一節である。
 実用的な面では、上に挙げた個所の前後に延々と30ページ近くも続くお茶漬けの話が、なんとも興味と食欲をそそる。納豆の茶漬、マグロの茶漬、鰻・穴子・鱧の茶漬、そして車海老の佃煮の茶漬。かなり手間のかかるものも多いが、ぜひやってみたい。
 古くから流通していた本かと思ったら、ちくま文庫の最新刊である。奇しくも中公文庫からも同じものが出ているが、これは1959年に没した魯山人著作権が切れたからだろう。美術論集なども、ぜひ文庫化してほしいものだ。

春夏秋冬 料理王国 (ちくま文庫)

春夏秋冬 料理王国 (ちくま文庫)