森まゆみ『東京ひがし案内』

 東京の山の手と下町の境界に位置する谷中・根津・千駄木を拠点とした地域雑誌『谷根千』を手がけ、エッセイストとして活躍する森まゆみさんの新著。文庫オリジナルの企画である。「谷根千」と、その周辺の水道橋・お茶の水・湯島・本郷・上野・白山・春日などを中心に、東京の都心から隅田川沿いあたりまでを取り上げる。著者のホームグラウンドだから、長年の経験と博識を存分に発揮して、充実したエッセイになっている。
 著者は「文京区も旧小石川と旧本郷、坂の上と下では微妙に人気(じんき)が違う。私はやっぱり山の手より下町の方が気が合う」という。とはいえ、ここでいう下町とは、足立区や葛飾区など、工場郊外から発達した新下町ではなく、都心の下町。とりわけ、文京区の坂の下のこと。たとえば、瀟洒なマンションから坂を下った、印刷所の輪転機の音のする場所や、駒込の駅の裏口など。マージナル知識人の好んだ場所である。
 そんなスタンスが、幕軍びいきとも結びつく。藩閥政府の支配する都心をのがれた人々が抵抗の拠点とした巣鴨の昔に思いをはせ、靖国神社の問題点を「戊辰戦争の『官』軍側死者しか慰霊されていない」ことという。なるほど。
 ご病気と聞いているが、相変わらずの健筆である。

東京ひがし案内 (ちくま文庫)

東京ひがし案内 (ちくま文庫)