岩井浩・福島利夫・菊地進・藤江昌嗣編著『格差社会の統計分析』

 統計学という言葉には、大別して2つの意味がある。1つは、多数派の研究者が理解する意味での統計学で、理論統計学、とくに推測統計学のこと。つまり、集められたデータから各種の統計量を算出し、ここから母集団の性質を推測するための数学的方法である。もう1つは、官庁統計を中心とする社会調査データを検討し、マクロ社会の構造を明らかにしようとするもの。後者は社会統計学と呼ばれることもあるが、一部の経済学者や社会学者は、経済・社会データに関する推測統計学を社会統計学と呼んでいるので、ややこしい。この流れに属する統計学者たちは、しばしば「社会科学としての統計学」という言い方をする。その代表的な人物は、大橋隆憲である。
 本書は、「社会科学としての統計学」の流れに属する研究者たちが、「格差社会」と呼ばれる日本社会の構造および制度を分析したもので、テーマは人口動向、所得・資産分配から、労働時間、医療・社会保障自治体政策まで多岐にわたっている。基本的には統計の性質や理論的な問題について論じたあとで、加工された数表が延々と続くスタイルだから、「統計学」そのものに関心のない読者は、データ集として活用することができる。
 分析結果については、私のこれまでの研究を裏書きするような部分もあれば、反する部分もある。全般的な格差拡大傾向がみられること、これが高齢化によって説明できるものでないことなどが、豊富なデータで明らかにされているところは、心強い。しかし、貧困率の動向、とくにワーキングプアの動向については、私の分析と結果が異なる。
 「就業構造基本調査」個票データを用いた私の分析では、ワーキングプアの増加はほぼすべてが非正規労働者の増加によるもので、正規労働者の貧困層はむしろ減少しているのだが、同じデータを用いた本書の分析では、正規労働者の貧困者数・貧困率も、緩やかに増加しているという。考えられる原因は、私が等価所得中央値の2分の1を貧困線としているのに対して、本書が生活保護基準を用いていることである。1990年代半ば以降、全体的に所得が大幅に減少しているので、私の方法では貧困線が下がるが、生活保護基準額の変更はわずかだから、本書の方法では貧困線がほとんど下がらないのである。これに関連して著者たちは、OECDの採用する等価所得方式は、生活基盤に対する公的支出が充実している国には有効だが、これらが大幅に市場化されている日本では、世帯員数の多い世帯ほど不利に扱われる、という。重要な指摘である。
 なお、統計上の「世帯主」という概念についての検討があって、たいへん参考になった。世帯主は、「国民生活基礎調査」では「世帯の中心として物事をとりはかるもの」、「家計調査」では「もっとも所得の多い者」と定義されており、このため高齢者世帯主世帯の範囲が、大きく違っているというのである。世帯主というのは、どうも主観の入りやすい概念である。気をつけなければならない。

格差社会の統計分析 (現代社会と統計)

格差社会の統計分析 (現代社会と統計)