塩見鮮一郎『貧民の帝都』

 著者は、被差別民の歴史に関する著作で知られ、なかでも江戸時代の非人についての著作が多いが、本書の対象は近代で、幕末から敗戦後までを扱っている。
 明治維新によって大名と家臣たちは地方に帰ったが、これによって江戸と地方の性格は大きく変わる。地方では古いモラルや慣習が保持されたが、支配層と富裕層をごっそり失い、多数の下級武士が失業した江戸は、貧困が大量に発生して混乱に陥るのである。著者は、このことが都市の性格に大きな影響を及ぼしたという。この影響は今も、東京内部の格差に影を落としているといっていいだろう。
 「帝都の最底辺」と題して、都内のスラムと貧民を収容する施設を外観した第四章は、当時の東京の貧困層についての基礎知識を得るのに有用である。また、いわれてみれば当然なのだが、第二次大戦が始まると、多くの人々が入隊したり炭坑へいったり、あるいは満州に渡ったため、「市内各地のスラムの混雑と密集がうそのように解消されていた」という。これらの人々は、その後どうなっただろうか。
 著者は、最近の貧困層の増大に、しばしば言及する。寒空の下にホームレスを見かけたとき、どういう態度をとるべきか。たとえば、千円札の一枚も渡して、「酒でも買って体を温めてくれ」と言ってやりたい。しかし、今の社会にはその習慣がない。思いやりがなくなっているというだけではない。貧者の尊厳を強調する近代の人権思想が、これを阻んでいる。著者は「同情・あわれみ・惻隠の情を復活させてもいいのではないか」というのだが、これは重い問いかけである。

貧民の帝都 (文春新書)

貧民の帝都 (文春新書)