川本三郎『君美わしく』

 川本三郎が、戦後日本映画の黄金期を作った一七人の名女優と対談した記録で、「戦後日本映画女優讃」の副題がつく。通勤途中の電車の中で読むのにちょうどいい、半月もすれば読み終わるだろう……と読み始めたのだが、あまりに面白くて一気に読んでしまった。
 まず冒頭の高峰秀子がいい。川本は「エプロンと下駄の似合う女優」というけれど、その飾り気のない語りに、こちらまで楽しくなってしまう。しかし、私生活では幸薄かった田中絹代について話し出すと、とたんにしんみりする。家では五時半頃から台所で飲み出し、寝るまでグダグダと飲んでいるとは意外だった。
 高峰秀子は、映画会社の専属を離れてフリーになった第一号とのことだが、すんなりフリーになることのできない女優も多かった。いちばん有名なのは、活動を妨害されて映画界から追放された山本富士子で、この経緯についてもいろいろ証言しているが、さらに苦労したのは前田通子。新東宝から解雇され、キャバレー回りをしたあとは、サウナの受付や掃除、仕切り場での廃品の仕分けまでしたという。映画界への不信も強く、川本も最初に申し込んでから十年越しで、ようやくインタビューを承諾してもらったとのこと。日本映画界に、このように重大な人権蹂躙事件があったことは、忘れられてはならない。
 登場するなかで、いちばん世代的に古いのは、杉村春子。五月の空襲で焼け出され、経堂の知り合いの家に身を寄せたが、八月一五日にはその家の奥さんが「うわー、うちは助かった」と言ったとか。当時の山の手住宅地の正直な感覚だろう。敗戦の話は他にもいくつか出てくるが、面白いのは新珠三千代で、毎日空襲のため睡眠不足で、ちゃんと聞きなさいと言いつけられた玉音放送の時には熟睡していて、父親にひどく怒られたという。
 川本三郎は、もともとほとんどの出演作を見ているし、内容もしっかり把握している。その上に入念な下調べをしたうえで臨んでいるのだから、インタビュアーとしては完璧である。しかし現代最高の映画評論家の一人であるにもかかわらず、大女優に会うときには、やたらと緊張する。杉村春子に会うときなどは途中で怒られるのではないかと不安がり、山田五十鈴と会うときなどは、粗相があったらどうしようと不安のあまり食事も喉を通らない。映画界そのものに身を置いたことのある人ではないからかもしれないが、何だか親近感がわいてきた。
 ここに登場する女優の何人かは、すでにこの世の人ではないし、子役の二木てるみを除けば、すでに相当の高齢である。日本映画の黄金期は、すでに終わって二度とやってこない。こうした生き証人たちには、さらに多くの証言を残しておいてほしいものである。

君美わしく―戦後日本映画女優讃 (文春文庫)

君美わしく―戦後日本映画女優讃 (文春文庫)