水木しげる(原作・柳田國男)『水木しげるの遠野物語』

 『遠野物語』は、民俗学の確立者としての柳田國男の名声、そして『共同幻想論』における吉本隆明の晦渋な読解の影響で、気軽に読むことが許されないようなイメージがないではない。ところが水木しげるは、これを完全に消化して、独自の世界にまとめ上げた。原作のおよそ7割から8割くらいの内容が、見事に漫画化されている。素朴で土臭い香りが全体を覆い、恐怖はユーモアの中に溶かし込まれている。それは水木の妖怪漫画の、ごく自然な延長線にある。今度は原作を読み返してみよう。

水木しげるの遠野物語 (ビッグコミックススペシャル)

水木しげるの遠野物語 (ビッグコミックススペシャル)

東浩紀・北田暁大編『思想地図vol.5 社会の批評』

人気のシリーズ第5弾で、今回は社会学者が中心。私は「東京の政治学社会学」と題して、原武史さん、北田暁大さんと対談しています。団地の政治的意味、東京内部の格差の動向などについて論じました。普通の選書2冊分のボリュームで、1400円。お買い得です。

NHKブックス別巻 思想地図 vol.5 特集・社会の批評

NHKブックス別巻 思想地図 vol.5 特集・社会の批評

朝日新聞「ゼロ年代の50冊」

 なぜか、拙著『「格差」の戦後史』が選ばれました。田中秀臣さん三浦展さんなど、ネット界で疑問の声が上がるのも当然です。好意的に解釈すれば、格差関係の本が何冊か候補に挙がったものの、「代表作ではない」「結論の一部がすでに否定されている」「受け狙いすぎる」などという理由で落とされ、消去法で決まったでしょう。09年秋の出版ということで、後出しジャンケン的な有利さもあったでしょう。まあ、率直に喜んでおくことにします。
 朝日新聞 ゼロ年代の50冊 11冊〜30冊

「格差」の戦後史--階級社会 日本の履歴書 (河出ブックス)

「格差」の戦後史--階級社会 日本の履歴書 (河出ブックス)

『九段坂下クロニクル』

 東京・九段下に、今川小路共同建築、通称・九段下ビルという建物がある。1927年の完成で、築後80年を超える長屋形式の耐火建築だ。戦前から戦後へと、多くの物語を育んできたに違いない建物だが、これを共通の舞台としたオムニバスマンガが本書。全四編。出来には差があり、私の好みの問題もあろうが、戦前を舞台とした「ご飯の匂い、帰り道」(元町夏央)と、戦中から敗戦直後を舞台とした「此処へ」(朱戸アオ)がいい。前者は、中間階級に欧米文化が浸透し始めた頃の生活と格差をさりげなく描く。後者は、何かちゃんとした原作があるのではないかと思われるほどしっかりしたストーリーの傑作で、映画化に向きそう。力のある作者のように思うが、意外にも単行本は共著のこれ一冊しかないらしい。

九段坂下クロニクル

九段坂下クロニクル

成瀬巳喜男の墓

classerkenji2010-03-15

 すぐ近所にあるとは知りながら、ついつい行きそびれていたが、今日になって初めて墓参りができた。砧公園にほど近い、世田谷区の円光寺にある。なんとなく、墓地の奥の方に鎮座しているものと思いこんで探し回ったが、実は墓地の入り口のそばにある。映画の作風どおり、端正で安定感のある墓だ。生けられたばかりと思われる、花束が美しい。いろんな色の花がまとめられているが、派手な色のものは一本もなく、淡い色彩のコンビネーション。成瀬を理解する人が供えていったのだろう。
 墓の所在について初めて知ったのは、川本三郎のこの本による。以前も紹介したが、映画人や作家などの墓をめぐりながら、その功績を偲ぶという好著である。どういうわけか文庫化されていないが、古書で入手できる。

今日はお墓参り

今日はお墓参り

藤井淑禎『高度成長期に愛された本たち』

 著者は日本近現代文学が専門だが、大衆小説や映画を論じることが多い。しかもその視点は常に、敗戦から高度経済成長期の日本社会の変化をふまえたもので、ある意味で社会学的とも言える。このため以前から愛読していて、専門書以外はたいがい読んでいるのではないかと思う。その最新著である。
 冒頭に「文学史のうそ」という見出しがある。愛読してきたものからすると、「なるほど」とすぐに納得がいく。ふつう文学史というものは、著名作家の純文学作品を中心に、無頼派、第一次戦後派、第二次戦後派、第三の新人……というように、事実上は「新作発表史」であるに過ぎない。ここでは第1に大衆文学、第2に読者が無視されている。ここから著者は、大衆文学を主要な対象とし、しかもそれらがどれだけ売れ、どれだけ読まれたかに注目して、新しい文学史を描こうとするのである。
 その具体的な成果の数々については本書を見ていただくしかないが、個人的には、松本清張が最初は「社会派」と呼ばれるような作品群で注目されながらも、のちにノンフィクションや評論に傾斜していく背景、貸本屋の全盛期から経済成長により「買って読む」への移行が進んでいく過程、教養から娯楽への読書動機の変化についての指摘など、興味は尽きなかった。
 記述は時に、「読書世論調査」の細かな数字の羅列に流れがちで退屈するところもないではないのだが、今後の文学研究・文化史研究はこうでなければ、と納得させられるところが多い。実はこれは、社会学者がやるべき仕事なのである。

高度成長期に愛された本たち

高度成長期に愛された本たち

東京新聞写真部編『TOKYO異形』

classerkenji2010-02-27

 かつて東京新聞に「東京oh!」という連載があった。東京のありとあらゆる場所から、不思議な空間や意外な光景を探し出し、巧みな構図で切り取った写真に、短い文章を配したというもの。都市風景写真が、時には鋭い文明批評になり、あるいは一種のアブストラクト・アートになるということを示した秀逸な連載で、毎回楽しみにしていた。
 その魅力は、中川の蛇行の様子をとらえたこの一枚からうかがい知ることができよう。中川はたしかに蛇行しているが、どんなアングルからとらえればこんな曲がり方になるのか。しかも、夕暮れ時の光の具合のすばらしさ。新聞社のクルーでなければ、絶対にできない作品である。
 必ず単行本になるはずだと思って、あえて切り抜きなどしないでいたのだが、出版されるのが意外に遅かった。しかもすぐに売り切れてしまい、入手するのに時間がかかった。ようやく手に入れたのは、今年に入ってからだ。真似ができないことは分かっていても、カメラをもって出かけたくなってしまう。

写真集 TOKYO 異形

写真集 TOKYO 異形